安山岩探索紀行(2)〜「シルキーストーン」開発の軌跡〜
不確かな情報を頼りに、私たちの石探しの旅は始まった。安定供給が可能な安山岩を、何としても探し出すのだという強い気持ちと、本当にあるのだろうかという不安の気持ちを道連れに、私たちは北京空港に降り立った。夏のムッとする熱気に包まれる。これから、飛行機と列車を乗り継いで、はたして私たちは安山岩にたどり着けるのだろうか。

●清朝王宮ゆかりの大都市、藩陽(シェン・ヤン)へ。
私たちはまず、北京から飛行機で1時間の中国東北部の「藩陽」を目指した。藩陽はかつて清朝の王宮が置かれた所で今でも東北の交通・経済の中心地であり、東北部で最大の600万の人口を持つ中国で4番目の大都市だ。重工業都市であるとともに商業も盛んだが、緑豊かで広々とした素朴な一面もある。漢族、朝鮮族、モンゴル族、ホイ族など15の民族がここで生活している。私たちは、故宮など多くの遺跡があるこの観光都市を満喫することもなく、鉄道の駅に向った。藩陽そこは、中国人の通訳の人もびっくりするほどの不思議な活気に満ちていた。都会でありながら、ノスタルジックなその風景は、戦後の急成長期の日本を思わせる。鉄道のチケットを買うための長い列が、目的地へ の果てしない旅路に見えた。チケットを買うだけで1日仕事と言われている。列への横入りが頻繁だ。私たちは、長い行列を避けて、よりスムーズに列車に乗るために一等車両を選んだ。ところが、いくら探しても一等車の乗車口が見つからない。やっと見つけた一等車の乗車口は、なんと残飯を運び出すための入口と一緒だったのだ。どうなることやら。とにかく、これから約5時間の列車の旅が始まる。

●珍道中、勃発。コワくて優しい東北の人たち。
日本で言えばグリーン車にあたるその車両は扇風機が壊れていて、中国語の音楽が大昔量で流れていた。あまりの騒音に音量調節をしたくなったが、ボリューム調節もなければ電源もない。けっこう混んでもいる。そういえば、ものの本にダニに注意とも書いてあったことを思い出す。一等車と言っても、単に個室になっているだけなのだと私たちはあきらめ、珍しい車内風景にカメラを向け、写真を撮っていたら、女性の車掌さんに怒られてしまった。飛行機内でも撮れるのに、今どき、別にいいだろうと反抗してみたら、鉄道公安員のような人も来て、私たちの通訳と激しい言い争いになった。地方に行けば行くほど改革解放になる前の習慣が残っているのだろう。とりあえず、権威を示さずにはいられない習慣が…。私たちはその場を切り抜けるために、少々ハッタリをかますことにした。「この人たちは北京政府の招待で日本から来た、中国にお金を落としてくれる人たちだ。それに対してクレームをつけると大変なことになるぞ。」と通訳の人に言ってもらい反応を待ったが、失敗。スーツでも着ていればよかったのだろうが、その時の私たちの格好ときたら、Tシャツに短パン、しかもビーチサンダル履き。しまった。ハッタリが通用する状態ではなかったのだ。案の定、公安の人も車掌も私たちの姿を一瞥した後、鼻で笑った。まるで「フン!」という音が聞こえるようだった。リゾートなどという感覚がない中国でのビーチサンダル履きの立場は、このような対応をとられても仕方ないものなのである。そういえば、空港でも妙に足元をジロジロ見られたっけ・・・。結局、笑われた私たちはパスポートを取り上げられ、番号やらを控えられることになったのである。そうなると、鼻息が荒かった私たちであったが、急にシュンとして、もう撮りませんとあやまってパスポートを返してもらったのだった。おそまつな結末である。しかし、その後、トイレに入ろうとした時、あんなに恐かった車掌さんがいきなり腕をつかんで、いまきれいにするから待っていろと言ってくれた。悪いなと思ってくれたのか、すごく優しく接してくれたのである。本当はいい人なのである。これが進んでいる沿海部と違う、東北の良さなのかもなあ…と、ほんわり感動したのだった。

●中国の大陸的な性格はトイレにあらわれる。
私たちが乗った列車のトイレをはじめ、中国の公共的なトイレは中国の方にはとても失礼な話だが、ほとんどが大変きたない。それにはそれなりのワケがある。中国の方たちは便器があるにもかかわらず、わざわざ便器を避けて壁に向って用を足すのである。なぜか、わからない。水で流す習慣もないようだ。子供を連れては入ってきた人は、手を洗うための台の下にあった玉砂利に小便をさせた。便器がすぐ側にあるというのにだ。もしかしたら便器にするのがきらいなのかもしれないと素朴に思った。こういったものは、大陸的で非常に大らかな性格からくるものかもしれない。・・・と思うことにした。自分の国を基準にして、他の国の習慣をさまざま言うのは失礼な場合があるものだが、ここでは実際の体験談として記している。車内で珍騒動が起こっている間、車窓は広々としたとうもろこし畑を延々と描いていた。乗り込んでからやく5時間後、私たちは内モンゴル自治区のある都市に到着したのである。この地のどこかに、私たちが求めている安山岩が本当にあるのだろうか。不安は続く。

●ドラム缶で焼いた料理はかなりうまいと知った夜。
到着は夜になった。ホテルのレストランはもう終わっていて、腹ぺこの私たちはホテルのボーイに聞いたレストラン街なるところへ出向いた。真っ暗で街燈もないそこは、2件のレストランと、後はドラム缶大活躍の屋台だけ。暗い中でも見るからに衛生的ではない感じだったので、2件のレストランのうち、どちらかというと清潔そうな方に入ることにした。 とりあえずビールを頼み、飲みながら料理を注文。愛想良くそれを聞いてくれたウエイトレスは、何を思ったのか厨房に入らず、サッと曲がって外へ出ていった。見ていた私たちは厨房が建物の中にあるのだと信じたかったのだが、彼女はなんと、ためらわずに屋台のほうへ行くではないか。料理を買って、私たちに運んでくるために・・・。このレストランの厨房は実は外の屋台だったのである。一同顔を見合わせてしまった愉快な話である。とにかくこの旅は予測できない事の連発だ。運ばれてきた何となく見た目きれいではない枝豆をポイと口の中にほうりこむと、やたらに美味しく、びっくりした。枝豆だけでなく、次々と運ばれてくる料理が全部美味しいのだ。ドラム缶で焼いたであろう羊の焼肉は香辛料が効いていて感動ものの美味しさであった。 お腹いっぱいになって満足そうな私たちを見ていた通訳の人が、にやにやしながら私たちに聞いた。いったいいくらだと思うのかと。相当安いのだなと私たちは思ったが、想像を絶する安さに本当にびっくりしたのである。ビールも料理もたらふく飲んで食べて55元。日本円で約750円、つまり4人で割り勘計算すると一人100円台のプライスだ。ビールは何十円の世界か。ウソのようなホントの話。

●いよいよ、安山岩があるという幻の採石場を目指して。
物々交換で暮らしている奥地の人たちもいれば、一晩で普通の人の一ヶ月分のお給料を使い果たす人もいるのが中国だ。その差は沿岸部と奥地では20倍も違うと言われている。さて、おいしく安く満腹になった私たちは、ぐっすり眠るためにホテルへ。たぶん、シャワーの蛇口がドッと外れるだろうホテルへ。ちょっと独特の匂いのする、それでもこの辺では唯一の貴重なホテルへ。次ぎの日は早起きをした。いよいよ目的の採石場を探す第一日目なのだ。朝食用のバイキングのトレーに前の日の食材の残りカスが付いていたって、もう気にならない。そんな細かい事は気にしないのだ。でかい目的を果たすためにやってきたのだから。日本、北京、藩陽と乗り継いできて、やっと情報の地にたどり着いた私たち一行4人は、幻の採石場を目指してチャーターしたタクシーに乗り込んだのだった。




- Vol.3へ続く -

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安山岩探索紀行 〜「シルキーストーン」開発の軌跡〜
   『THE 石の情報誌 ウェルストン』から抜粋しました。
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